生きるとか死ぬとか、と流産

死生観とは、生きることと死ぬことに対する考え方、
または判断や行動の基盤となる生死に関する考えのこと。

なぜ生きるのか?
死んだらどうなるのか?

みなさんは、どのように考えていますか。

幼少期の純粋な疑問

わたしは、物心ついた頃から死生について考えていました。
それを鮮明に覚えています。

「今、生きていることも、もしかしたら本当じゃないかもしれない。
 見えているもの。

 聞こえているもの。
 体の感覚。
 ”わたし”という存在ですら、
 もしかしたら、ぜんぶ夢で、目が覚めたら全然違う世界にいるかもしれない。
 …みんなは、何で今生きている世界が本物だと思えるんだろう?」

ということを、しょっちゅう思っていました。

でも、なんとなく「こういう考えはおかしいのだろう」と察して、
他人に話すことは出来ず、心の内でモヤモヤがはびこり続けました。
今思うと、高校生で倫理の授業が始まり、
哲学者たちの様々な見解を学べたことは救いとなっていたかもしれません。

死生に対する疑問は解決できないままでしたが、
大人になって、
「今のところ、違う世界で目が覚めることはないから、
わたしは”この世界を生きている”のだろう」

という感覚が育まれていきました。

目の当たりにした”死”

はじめて人の死を目の当たりにしたのは、25歳のことでした。

有難いことに、それまで祖父母は4人とも元気でいてくれて、
親戚や家族の死に直面することなく、生きてこれました。

そして、25歳の秋。
父方の祖父が亡くなり、はじめて”人の死”をダイレクトに感じたのです。

当時のわたしは、自分なりの死生観を持てていませんでした。

だから、
「死んだらどうなるんだろう?」
「死ぬってどういうことなんだろう?」
「何で死ぬんだろう?」

得体のしれない”死”に対する恐怖と、
祖父がこの世からいなくなったという事実に対する混乱と、
祖父ともう会えないんだ…という哀しさと、
でも、わたしより父や祖母の方が悲しいはずなんだから
わたしが哀しそうにしちゃいけない!という変な見栄と。

よく分からない感情に吞み込まれて、自暴自棄に陥りました。

そんなわたしを救ってくれたのが、ヨガでした。

自暴自棄な中でも、「ちゃんと生きたい」と願う自分がいて、
導かれるように行った瞑想のイベント。

そこで、瞑想のパワフルさを感じ、キルタン(唄う瞑想)に癒され、
一気に心が回復した
のです。

そして、ヨガ哲学で唱えている輪廻転生の概念に出会い、
“祖父の死”という経験で生まれた傷も、すっかり癒されていきました。

わたしを”本物のヨガ”に出会わせてくれたのは、祖父の魂だったのかもしれない。
確かなことは分かりませんが、勝手にそう思っているので、
今でも祖父への感謝は忘れていません。

輪廻転生とは…

諸説あるかもしれませんが、わたしの解釈を書いておきます。

◯魂が、何度も別の肉体として生まれ変わる。
◯魂に記録された経験や学びは、そのまま次の肉体に受け継がれるが、
 (基本的には)記憶は受け継がれない。
→カルマの法則で、前世のカルマが今世や来世に影響する。
◯(現代であれば)人生100年の中で、何を経験してどのような学びを得たいのか、
 自分で選んで生まれてきている。
→それが出来そうな環境を選んで生まれてきている。
 ただし、前世のカルマが影響するので、それは考慮されてしまう。
 (前世で人を殺したら、今世はそのカルマが巡って闇の世界に生きるとか)
◯魂レベルで繋がりのある人と家族や友人となって、
 お互いの成長を促しあっている。
◯解脱によって輪廻転生は終わり、生まれ変わることはなくなる。

といったところでしょうか。
ちなみに、サンスクリット語ではサンサーラ(samsara)というそうです。

わたしには、前世の記憶があるわけでもないし、
この人生を選んで生まれてきたんだ!という強い気持ちもありません。

だから、絶対に輪廻転生が正しいよ!という確証はまったくありません。

でもなぜか、何の疑問も感じずしっくりときたので、
そのまま、そのしっくりきたことを受け入れて信じるようになりました。

そうしたら、とてもとても強くなれた気がします。

自分の考え方を人に押し付けることはしませんが、
“自分なりの死生観”を持つことが、
すべての人にとって重要なことであるのは確か
です。

それが、生き方を変え、きっと死に方も変えてくれるので。

流産と輪廻転生

流産を経験したときも、輪廻転生を信じていたことが心の安定に繋がり、
自分の中で消化するための助けになりました。

前提として、わたしは胎内記憶(※)の話でよく聞く
「お空からお母さんとお父さんを選んできたんだよ!」
というのが、輪廻転生と辻褄が合うな~!と感じ、信じていました。

ただ、胎内記憶についても、直接子どもから聞いた経験もないですし、
絶対に合ってるはずだ!という確証は、まったく持っていません。
信じられない方にとっては、この先の話も「???」かもしれません。

※胎内記憶について、わたしが読んだ・観たもの
本:自分をえらんで生まれてきたよ|いんやく りお著
映画:かみさまとのやくそく~あなたは親を選んで生まれてきた~
インスタ:竹内文香

胎内記憶を持っている子どもによると、
流産の原因としては、
「お空に忘れ物をしたから取りに帰った」
「魂と肉体がこの世にくるタイミングが合わなかった」

などがあるそうです。

これは、なるほどー!と納得。

その上で、「きっと、また戻ってくる」という考えについては、
「そうとは限らない」
と思いました。

例えば、流産してからセックスレスになって受精が起きなかったら…
その魂は永遠に生まれてこないことになってしまうじゃない!
それはあり得ない!

そう感じて、考えが少し変わりました。

「自分でお母さんとお父さんを選んでくる」というのは、
半分ほんとで、半分うそなんじゃないか
と。

魂が選ぶのは”何を経験してどのような学びを得たいのか”の部分。

ということは、
日本人で、ある程度の経済力を持っていて、自然を好んでいて、
自由を愛していて、仲のいい夫婦で…

といった条件に当てはまればいいので、
わたしたちとタイミングが合わなかったら、
別のご夫婦の子どもとして生まれるんだろうな~
と思っています。

この先どうなるかは誰にも分かりませんが、
もし、わたしたち夫婦の子どもとして生まれることがないとしても、
きっと、”魂レベルで繋がりのある子”だから、
生きている間に、どこかで会えるかもしれない。

勝手にそう思っています。

ちょっと胸がじわんとあったかくなるから、、、いいよね。

Ami